4月, 2012年
復興支援 ふれ愛コンサート 2012
国境なき楽団が主催する
復興支援 ふれ愛コンサート 2012
Supporter’s Supportもトークショーと物販ブースで参加しました。
お客さんも含め、やさしい人が集まったようなあったかいイベントでした。
来てくださった方ありがとうございました。
本日のワタママグッズの売り上げは23700円
募金箱に入れて頂いた活動支援金は2200円
またこれまでJICA中部なごや地球ひろばに置かせて頂いていた募金箱の集計13551円。
合計39451円を今回も石巻市渡波で活動を続ける
協力隊ov有志による震災支援の会へ送らせて頂きます。
ありがとうございました。
掲載情報!
下野新聞、北國新聞、新潟日報で
ワタママ食堂とSupporter’s supportが
紹介されました。
「国境なき楽団」復興支援 ふれ愛コンサート 2012
今年もJICA中部なごや地球ひろばで開催されます。
<「国境なき楽団」復興支援 ふれ愛コンサート 2012>
日時:2012年4月29日(日);14:00~16:00(開場:13:30)
場所:JICA中部国際センター(屋外駐車場)
プログラム
(1) 庄野真代(主催者代表)の挨拶
(2) 岡島大ライブ
(3) 愛知大学ブルースターズ ジャズオーケストラ
(4) 空木マイカと復興支援を語る(青年海外協力隊愛知県OB会等)
~supporter’s support、協力隊愛知県OB会の支援活動等~
(5) JICA研修員ステージ
(6) 上田紀子(フラメンコ)
(7) 原田さとみとフェアトレード・国際協力を語る
~ラオス・プロジェクト(アデックさんの演奏あり)~
(7)アースデイwithマイケル
(8)庄野真代ライブ
(10)フィナーレ
Supporter’s supportは物販も行います!
ぜひ遊びにいらしてください。
今回のボランティア後記
今回愛知ボランティアセンターのバスで十八成浜へ行けて
本当によかったと思う。
暑い夏も、寒い冬も、雨の日も風の日も毎週末
バスで向かい、いろんな活動を1年以上行ってきた。
そのことが築いた信頼感はすごかった。
それは、十八成へ着くと初めてであっても
まず「おかえり」と迎えられ、名古屋に向かうときには
「行ってらっしゃい」と見送られる。
そんなやりとりにも表れていた気がする。
そのうちの一つになれたことが今とても嬉しい。
そして、一緒に行ったメンバーのすばらしさ!
中学生から年配の方まで世代は色々なのに
みんな仲良くなって、一つのクラスみたいだった。
この仲間と出会えたこと、
そして一緒に活動できたことも大きな財産になった。
そして何より、この3日間すごく楽しかった。
大変だな、とか。やらなくちゃ、ではなく、
純粋に活動が、出逢いが楽しかったのだ。
愛知ボラセンは
「明るく、楽しく、まじめにをモットーにやっています!」
と行きのバスで言われていたのだけど、
まさにその通り。楽しめたからこそ、また行きたいと思う。
あの日一緒に笑った人たちにまた会いに帰りたいと思う。
人は忘れる生き物。
忘れないようにしようと思いながらも、
心の中の熱は冷めていたりする。
自分一人でその熱を何もないところから起こすのはとても難しい。
だからこそ、何かのきっかけで、
自分の心の熱を意識的に戻していくことが必要なのだろう。
それはイベントであったり、メディアの報道であったり、
いろんなきっかけで良いと思うけれど、
実際に足を運ぶと自分の熱を戻すだけでなく、
その話をした時に、その人の周りの人の熱も
自然と戻してあげることができる。
邦子さんが言ってた。
「その明るい笑顔で、寂しくなったこの町を歩いてくれるだけでいいんです。
外から来た人の明るいオーラみたいなものを、
町の中に残してくれれば、それだってとてもうれしい」
興味もたれた方はぜひぜひ➡コチラ
邦子さんの言葉
くぐなり浜の作家、阿部邦子さんのお話を伺う機会もあり
大きなメッセージをたくさん受け取った。
たくさんお伝えしたいけれど、
その中から特に心に響いた2つのお話を。
まずひとつは、
「私たちのことを忘れないのもだけど、
『私たちの気持ち』を忘れないでください」という言葉。
1年経って、
「いつまで引きずってるのもう忘れて前に進みなさいよ」
というようなことを言われることが出てきたのだそう。
だけど、今自分の周りを見渡して想像してみてください。
家の中にはたくさん思いの詰まった宝物たち、大事なものがある、
隣には大事な人が笑っている・・
それが一瞬にして全部無くなるんです。
あなたはそれで「一年経ったから大丈夫」なんて思えますか?
今、想像したその気持ちを忘れないでください。
本当の意味で想像することをちゃんと続けていこうと思った。
そしてもう一つは
「命は別々なの。自分の命をまず大事にして。
決して死なないで」という言葉。
一年前、誰かを迎えに行った人が、助けに行こうとした人が
流されて犠牲になるということが多かったのだそう。
だから、帰ったらすぐに家のまわりを
子どもでも、親とでも、恋人とでも歩いてみて
何かあったらどこに逃げるのか。
徹底していてほしい。
何かあったときには
「あの人は必ずあそこに行っているはず。
あれだけ約束したのだから」とそのことを信じてほしい。
こんな話があった。
ある幼稚園で地震が起きたときに先生が
「みんな危ないからしゃがみなさい」と言うと
3歳の男の子がものすごい勢いで泣き出した。
「地震があったら津波が来るから
おばあちゃん、高いところに逃げなさいって言ってた」と。
先生は他の子たちも混乱するといけないから、と
なだめようとするんだけど、
「おばあちゃん言ってたもん」と決して泣き止まなかった。
困った先生はその子をなだめる意味で
「わかった。じゃあみんなで上に登ろうか」と
高台へ全員を連れて行った結果、その幼稚園はみんな助かったのだそう。
子どもでも、言っておけばわかるんです。
それに子どもには本能もある。
「あの子はきっとちゃんと約束した場所に行ってる」
そのことを信じて、まずは自分の命を守ってください。
命は別々だから。
あなたたちに死んでほしくないから言うんだよ。
決して死なないで。生きて。
もし万が一、こっちで何かあった時、
その言葉を一番叫びたいのは、届けたいのは
被災した邦子さんたちなのだと思う。
でもその瞬間には間に合わないから
私が代わりに自分の場所で、ラジオという場所で
その思いを、リアルな声を代弁しようと思った。
邦子さんは何度も
「本当の復興って何だと思う?」と言った。
「町がきれいになったら、建物が建ったら復興なのかな?
お店を再会できたら復興なのかな?私にはわからない」
帰りのバスの中、みんなで感想をマイクで話していたときの
ある男の子の言葉が胸に残った。
「僕はまだ復興って何なのか?の答えを見つけられていません。
でも何かあった時、決っして死なないようにしようと思います。
自分たちが死なないことが、一人でも多く生きることが
邦子さんたちの復興につながると思うから」
生きようと思います、心から。
そしてそのために備えようと思います。
鮎川浜
牡鹿半島にあるくぐなり浜から少し車を走らせると
同じく牡鹿半島にある鮎川浜というところに着く。
午後はこちらにも足を運んだ。
クジラの町だった鮎川浜を襲った津波。
その爪痕は今も色濃く残っていた。
2本の柱が立っているところは元は陸地だった。
地盤沈下で1mほど沈んでしまったのだという。
そんな鮎川浜に「おしか のれん街」というものができていた。
Helpというドイツを本拠地とする国際緊急支援団体の助成金によって作られた
ラーメン屋さんやお寿司屋さん、酒屋さんに地元の名産クジラの缶詰やグッズを
売るお店が入ったのれん街だ。
買うことも一つの支援のあり方。
ここで買ったクジラの大和煮は抜群においしかった。
十八成浜ボランティア
代表の空木マイカです。
supporter’s supportともつながりのある愛知ボランティアセンター(➡コチラ)の
ボランティアバスで石巻は十八成浜(くぐなりはま)へ行ってきました。
金曜の夜に名古屋を出て、土曜日活動をし、
土曜の夜に石巻を出て、日曜の朝に帰ってくるというプランなので
仕事をしている人も、学校に通っている人も参加できるのです。
金曜の夜18時に東別院に集合。
受付を済ますと一人ひとりに「頑張ってね。いってらっしゃい」と
バナナとカイロとしおりが配られた。
受付だってもちろんボランティアで、
ボランティアの見送りのためだけに来てくれる人もまたボランティア。
これも震災後、毎週、1年間続いている名古屋できるボランティアのひとつ。
あったかい心遣いにじーんとしてしまう。
復興地を訪れるのは半年ぶり。
がれき撤去も進み、今は「さら地」が広がっているという状態だった。
がれき撤去がメインだった段階は変化も目に見えてわかり、
「これが無くなれば前に進める」ような気がしていたけれど、
「さら地」になった今、ここからどうしていくのだろう、と
逆にこれからの道のりの長さを思ってしまう部分もあった。
十八成浜到着後は3つの班に分かれて活動。
まず、がれき撤去などをする力仕事チーム。
今回はお墓の修復作業。
(ちなみに次回は白山神社の鳥居の修復作業をするそう)
そして、ご飯を作って仮設住宅の談話室で「くぐなり食堂」を開く班。
避難所では人は感情がむき出しの状態になり、
時に人間関係が壊れてしまうこともあった。
それでも仮設に入った今、周りの人たちと新たに一緒に生きていかなければいけない。
けれど、なかなか自分たちだけで集まるという機会がないのだそうだ。
毎週ボラセンが談話室でくぐなり食堂を開くことで、
みんながそこに集まって一緒にご飯を食べ、会話が生まれる。
人間関係づくりになる。
良い村を作るには良い人間関係が必要。
今だからこそのボランティアの形。
そして私が配属されたのは「心配り班」だ。
これは一軒一軒、お家をまわって食堂のメニュー等が載った
ボラセン手作りのチラシを配るという班。
そこで今困っていることを聞いたり、お話をすることで
孤独死を防ぐというもの。
そしてこの心配り班にはもう一つの大きな役割がある。
それは「傾聴ボランティア」。
みんな被災の状況が違うので自分の話をすると
「うちはもっとひどかった」と言われてしまうこともあり
被災者同士で震災のことってなかなか話せないのだそうだ。
そこで外から来た人間が話を聞く。
すると心がふっと軽くなるのだという。
わたしも10軒ほどまわり、最後に行った一人暮らしのおばあちゃんのTさんお宅で
「お茶っこ飲んでけ」と声をかけてもらったので
お昼はお宅にお邪魔してくぐなり食堂のお弁当を一緒食べることにした。
Tさんは「これも食べ」と
畑で採れたというチンゲンサイのおひたしと昆布巻きも出してくれた。
最初はTさんの好きな旅の話や、お孫さんの話をしていたのだけど
少しずつ「震災のときはね・・」と話し始めてくれて、
当時の状況、怖かったこと、そこから今までのこと色々と教えてくれた。
全部を話し終えた時、Tさんの顔はなんだかちょっとすっきりしていたように見えた。
「いつもはね、テレビに向かって一人で食べてるの。
毎日特にやることもなくて、つまらないんだけど、
今日は来てくれて楽しかったわ。たくさん笑った」と帰りに言ってくれた
その言葉が何よりうれしかった。
十八成では桜どころか今年はまだ梅も咲いてなかった。
まだまだ風は冷たかったけれど、
早く梅や桜がここに春を運んでくれたらいいな、と思った。