活動紹介
石巻市の避難所 わたのは小学校で活動をする協力隊OV有志による震災支援の会の活動
青年海外協力隊として 途上国支援を経験してきたOVの有志が立ちあげたこの団体は、
活動の一つひとつに協力隊時代の経験が活きていました。
未来につながる炊き出し
メニューは最初から栄養士の隊員が作っているので、
とても栄養バランスが良く、一度に作る量もすごい。
普通避難所では200食くらい、自衛隊でも800食を作れるくらいの所を
この避難所ではスタッフ10人程度にも関わらず、多い時で1500 ~ 2000 食作っています。
なぜ、そんなことが可能だったんですか? と問えば
「避難されている方たちを巻き込んで一緒にやってもらっていましたから」と。
ここではスタッフだけでなく、避難所のママさんたちが一緒に炊き出しを作っているのです。
「私たちはいつかいなくなる。
その時に地元の人たちだけでやっていける仕組み作りをする。
自立のお手伝いをやっているだけなんです。
何かを持って来て与えるだけということはしたくないな、と思っています」
地元の人に力を付けてもらうということをとても大事にされていました。
「避難所で終わらせるつもりはないんです。
ここを次のステップの為の一つの入り口にしてもらいたい。」
事実、お母さんたちの中の一人は今月食品管理衛生士の資格を取る予定で
ゆくゆくはお弁当屋さんか配膳屋さんとして独立することを考えているそう。
どこに行っても 今必要なものは「仕事」「雇用」だという中で、
この炊き出しの作業、今ではボランティアではなく、お母さんたちは、有償の「仕事」としてやっています。
その名も「レストラン はまなす」
渡波で親しんできた長浜海岸は震災でダメージを受けたけど、
いつか「みんなの故郷 はまなすライン」をよみがえらせたい!
そんな思いから付けられました。
仕事を持つということ
ママさんたちの仕事は、「レストランはまなす」だけではありません。
わたのはのママさん達は自主運営組織を作り「わたのはスマイル」というグッズも作り、この販売もやっています。(デサインは作家の犬飼ともさん)
こんな言葉も仰っていました。
「仕事というのはお金を稼ぐ以上の意味があるんです。
家も家族もない。この先どうやっていったらいいんだろう、と
先が真っ暗に思えている時に、仕事もない、何もすることがないというのだと、
人間悪いことばっかり考えちゃうんです。
でも仕事に集中することができたら、そんなこと考える隙はなくなる。
それに責任を持つということもとても大事ですよね。
自分というものが社会に必要とされているという存在意義が見えてくると
それで自分を取り戻すことができる。
それからやはり、お金が入るということも重要です。
そのお金で何か子どもに買ってあげよう。
もっと他の仕事もしてそのうちまた家を買いたい。
そんな風にどんどん前向きに未来を作ることを考えられるようになります。
大きく言えば生きる希望になるんです」
子どものスマイルを取り戻そう!
最初は、大人もだけど、子ども達も笑えなかったのだと言います。
そんな時に来てくれたのが、絵本作家の犬飼ともさん。
もともと廃材を使っておもちゃを作るというのをやっていた犬飼さん。
ここに来るとがれきの山がたくさんあり、
彼にとって、それは全てゴミではなくおもちゃの材料だったのです。
そこで、みんなでがれきの山から使えそうな物を取ってきては子ども達と一緒にそれでものづくりを始めました。
そうすると子ども達に笑顔が戻ったのです!
「ものづくりに集中することができる間、
子ども達は目の前のこと、悲しい記憶を忘れることができるんですね。」
見せてもらったアルバムの中には子ども達の笑顔の写真もたくさんありました。
その中ですずちゃんという女の子は
そこからおもちゃを作っていく発想が豊かで「天才すずちゃん」と呼ばれ、
山形の大学で彼女をモチーフにした映画も制作されたのだそう。
彼女は今、ウェスティンホテルに呼ばれ、作品展もやっているのだとか。
避難所卒業セット
4ヶ月、5ヶ月料理を作らずに、炊き出しをもらうだけだったお母さん達は、
仮設に入ってキッチンがあっても、作れなくなってしまうことがあると言います。
コンビニのものを、買ってこようとか。炊き出しをもらおうとか。自分で作るということをしなくなってしまう。
そこで、避難所を卒業する時には調味料30 品を一世帯1 セットをプレゼントしています。
「仮設には最低鍋や包丁のような物はあるんですよ。さすがに砂糖や塩を舐めて暮らす訳にはいかないんで
調理器具と調味料があれば 何か作ろうかなって思ってもらえるんじゃないかと思って。
自分で作ったごはんを食べるということをやっぱり大事にしてもらいたいので」とは、代表の菅野さん。
また、食材は長野から野菜が届く度に朝市を開いて 安く提供しています。
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私が渡波で出逢ったママさんたちは、とっても元気でした。
真っ黒に焼けた肌に白い歯をニカッと見せて笑い、
ワタママグッズを「素敵でしょ~」と誇らしげに見せてくれたママ。
調理場でチャキチャキと誰よりも動いて、みんなに慕われていたリーダーママ。
そんなママたちに、とってもたくさんのパワーをもらいました。
わたしはワタママたちをここ名古屋から、ずっとずっと応援していきたいと思っています。
そしてママたちを支えている「協力隊OV 有志による震災支援の会」のお手伝いを
ここ名古屋ですることができたら、そんな思いで今回このパネルを作りました。
これを読んでくださったあなたにも、ママたちのパワーが届いていたら嬉しいです。
そしてこの輪に加わりたい!と思ってくださったら、支援金箱へお気持ちをお願いします。
責任を持って <協力隊OV 有志による震災支援の会> へお届けします。
『ワタママスマイル』商品のご注文方法
『ワタママスマイル』商品のご注文は、以下の注文票にご記入の上、下記アドレスへご送信ください。
ご注文頂きましたらこちらからご確認のメールを差上げますので、注文内容をご確認ください。
なお、一部商品は在庫切れの場合がありますので、その際にはご容赦ください。
ワタママスマイル商品注文票
- 商品名
- 個数
- Tシャツの場合はサイズ、色、枚数
- お届け先のご住所(郵便番号含む)
- ご連絡先の電話番号
ご注文・お問い合わせ先
Eメール:watamamasmile@gmail.com
「協力隊OV 有志による震災支援の会」ワタママ商品担当
ご興味ある方、詳しくは→協力隊OV有志による震災支援の会のHP を見てみてください!
http://exjocv2011.blogspot.com/
わたのはブティック
廊下を歩いていると「ブティック」を発見!
商品は全品無料。全国から送られた服を自由に持って帰れるブティックです。
ただ段ボールから取っていくのではなく、
こんな風にブティックと名前をつける細やかさが素敵ですね。
「最初は段ボールから 取っていたんですけど、そうするとどれが女性物か男性物か、
子供服はどこにあるのか全くわからないし、次々に開けて行こうっていう気にならない。
だから、ハンガーにかけることにしたんです。
でも、ハンガーやハンガーラックを送ってという訳にもいかなくて・・。
すごく助かったのが、アマゾンのほしいものリストでした。」
アマゾンのほしい物リストというのは
避難所や復興地の人が今欲しいものを選んで掲載しておいて、
それを見た全国の人が代わりに購入するというもの。
本当に現地の役に立つ支援というのは実はとても難しい。
100 人いる避難所に80 食送ったとしても、20 人はもらえない、それでは公平にできないということで配れない。
そんな中でこの仕組みはニーズにとても合っていますよね。
周りの方にもぜひ教えてあげてください!
放送室オープン!
学校の放送室にも水が入っていて、最初は使えなかったのだそうだけど、
炊き出しをやる時間や連絡事項を広い学校内で一人ひとり走って伝えに行くのは本当に大変で、
何とかここは早く復旧しようということに。
どの線が何階のどの部屋に繋がっているのかわからないから一つひとつ手作業で確かめていったのだと言います。
いくつもいくつもある線を見て、その大変さをかみしめます。
放送室のドアには「音楽リクエスト待ってます」の文字が。
音楽はパソコンからかけているのだけど、音楽をかけられるようになってからかなり和んだのだと言います。
何事も組織化を!
どの避難所にも本部というものがあります。
学校で授業をしながら、一部が避難所になっているところでは先生たちがやっている場合もあるのですが、
渡波小学校は石巻市の方、他県の職員(一週間交替で)、避難住民の代表で組織されているのだそうです。
そして避難所には自治組織がきちんとできていて、本部の下には各階リーダーがいて、その下には班がある。
班長会議では問題点を話し合い、自分たちで解決できないと市へ相談をする。
という見事なシステムが出来上がっているのです。
「すごいですね」と驚いていると、代表の菅野さんからは
「自治組織が自分たちで早い段階でできていないとみんなが不幸になっていってしまうんです。
これができていると、あとは機能していけば自分たちでまわしていけるので」と返ってきました。
こういった仕組み作りにもやはり、協力隊時代の村落開発をのしくみ作りのノウハウがいきています。
そんな本部では、名古屋から来たと言うと
「愛知県の方には随分助けていただきました」
という言葉が真っ先に返ってきました。
ここで活動している青年協力隊のOB,OG も愛知県を中心とした東海地区出身。(菅野さんは静岡ご出身!)
そして、愛知ボランティアセンターのバスも毎週ここに来ていたのだといいます。
「愛知ボランティアセンターはあれだけの大人数で来るのに
統率がとれててすごいんですよ」と笑顔で語ってくださいました。
「わたしたち愛知県の人大好きですから!」と、その言葉がとてもうれしかったです。
それも、全てここで活動された方が作ってきた絆なんですよね。
衛生面も大事です
校舎の2階・3階が寝泊まりできるようになっているのですが、
最初はここも土足だった中、「衛生のために上の階は土禁にしましょう」と提案した代表の菅野さん。
でも最初はそんなの大変だし、と反対にあっていたのだそう。
それでも、「病気になってからでは遅いんです!」と何度も説得し、
愛知ボランティアセンターの人たちと学校の下駄箱を運び、大掃除をして土禁を実現。
「次にどうやれば改善されるか、先手先手で解決していくことが大切なんですよね」
菅野さんのその言葉は実際にその経験をしてきた人だからこその言葉でした。
― 最 後 に ―
避難所・わたのは小学校の館長をご紹介します。
みんなに慕われている笑顔の素敵な高橋館長。
一度お会いしただけなのに、もうすっかり館長さんのファンになってしまいました。
みんなを包み込むようなビッグスマイル!素敵です。
でも、帰ってきてから館長さんのスマイルにはとても大きな意味があったことを知ったのです。
日曜日家に着くと、館長さんからメールが届いていました。
「私は津波に飲まれ、死ぬ一歩手前で助かった一人です。」
とその時の壮絶な様子を語ってくださった後に綴られていたのはこんな言葉でした。
「以前の私は自分さえ良ければいいという人間でした。
人の為になんて考えた事もなかったです。
何故こんな自分が助かって、多くの人が犠牲になったのか?
特に子供達はなすすべもなく、亡くなっていったはずです。
なぜこんな自分が…
毎日、自分が助かった意味を考えた時、
『せめて今、自分が出来る事を精一杯やろう』そう思えるようになり、
人の役に立てる事をしようと動いていたら、
いつの間にか、館長と呼ばれるようになっていました。」
この笑顔を取り戻すまでの館長の気持ちは想像してもしきれません。
パソコンの前で、返す言葉が見つかりませんでした。
だけどその時、心の中で決めたのです。
この先、カタチを変えていくことがあってもこことずっとずっと繋がっていよう、と。
あなたの思いも、ちゃんと館長の元へ届けたいと思っています。
支援金箱へお気持ちをよろしくお願いいたします。
― 番 外 編 ―
ここからは、これまでにやってきた <協力隊OV 有志による震災支援の会>の活動をご紹介していきます!
電気を持ってきたのも…!
配線が切れてしまって、電気も最初は通っていなかったので、
電気技師の元協力隊員を呼んで、外から配線を無理矢理つないで、電気を入れてもらったそう。
普通、電気屋さんはこういうのを嫌がるので、こういうところも元協力隊員ならでは!