十八成浜ボランティア
代表の空木マイカです。
supporter’s supportともつながりのある愛知ボランティアセンター(➡コチラ)の
ボランティアバスで石巻は十八成浜(くぐなりはま)へ行ってきました。
金曜の夜に名古屋を出て、土曜日活動をし、
土曜の夜に石巻を出て、日曜の朝に帰ってくるというプランなので
仕事をしている人も、学校に通っている人も参加できるのです。
金曜の夜18時に東別院に集合。
受付を済ますと一人ひとりに「頑張ってね。いってらっしゃい」と
バナナとカイロとしおりが配られた。
受付だってもちろんボランティアで、
ボランティアの見送りのためだけに来てくれる人もまたボランティア。
これも震災後、毎週、1年間続いている名古屋できるボランティアのひとつ。
あったかい心遣いにじーんとしてしまう。
復興地を訪れるのは半年ぶり。
がれき撤去も進み、今は「さら地」が広がっているという状態だった。
がれき撤去がメインだった段階は変化も目に見えてわかり、
「これが無くなれば前に進める」ような気がしていたけれど、
「さら地」になった今、ここからどうしていくのだろう、と
逆にこれからの道のりの長さを思ってしまう部分もあった。
十八成浜到着後は3つの班に分かれて活動。
まず、がれき撤去などをする力仕事チーム。
今回はお墓の修復作業。
(ちなみに次回は白山神社の鳥居の修復作業をするそう)
そして、ご飯を作って仮設住宅の談話室で「くぐなり食堂」を開く班。
避難所では人は感情がむき出しの状態になり、
時に人間関係が壊れてしまうこともあった。
それでも仮設に入った今、周りの人たちと新たに一緒に生きていかなければいけない。
けれど、なかなか自分たちだけで集まるという機会がないのだそうだ。
毎週ボラセンが談話室でくぐなり食堂を開くことで、
みんながそこに集まって一緒にご飯を食べ、会話が生まれる。
人間関係づくりになる。
良い村を作るには良い人間関係が必要。
今だからこそのボランティアの形。
そして私が配属されたのは「心配り班」だ。
これは一軒一軒、お家をまわって食堂のメニュー等が載った
ボラセン手作りのチラシを配るという班。
そこで今困っていることを聞いたり、お話をすることで
孤独死を防ぐというもの。
そしてこの心配り班にはもう一つの大きな役割がある。
それは「傾聴ボランティア」。
みんな被災の状況が違うので自分の話をすると
「うちはもっとひどかった」と言われてしまうこともあり
被災者同士で震災のことってなかなか話せないのだそうだ。
そこで外から来た人間が話を聞く。
すると心がふっと軽くなるのだという。
わたしも10軒ほどまわり、最後に行った一人暮らしのおばあちゃんのTさんお宅で
「お茶っこ飲んでけ」と声をかけてもらったので
お昼はお宅にお邪魔してくぐなり食堂のお弁当を一緒食べることにした。
Tさんは「これも食べ」と
畑で採れたというチンゲンサイのおひたしと昆布巻きも出してくれた。
最初はTさんの好きな旅の話や、お孫さんの話をしていたのだけど
少しずつ「震災のときはね・・」と話し始めてくれて、
当時の状況、怖かったこと、そこから今までのこと色々と教えてくれた。
全部を話し終えた時、Tさんの顔はなんだかちょっとすっきりしていたように見えた。
「いつもはね、テレビに向かって一人で食べてるの。
毎日特にやることもなくて、つまらないんだけど、
今日は来てくれて楽しかったわ。たくさん笑った」と帰りに言ってくれた
その言葉が何よりうれしかった。
十八成では桜どころか今年はまだ梅も咲いてなかった。
まだまだ風は冷たかったけれど、
早く梅や桜がここに春を運んでくれたらいいな、と思った。